ここ数年
映画、本、漫画を周期的に貪っている。
この3つの1つにはまって飽きたら次にいく。
そんな事を繰り返している。
先週までは漫画ブームだったが
今は本ブームに移り
最近は、20代前半に読んでいた
チャールズ・ブコウスキーを読み耽っている。
文章を読むと言葉を紡ぎたくなる。
夜に時間が出来ると
近所の賀茂川の河川敷に出て
煙草を吸いながらノートとペンを持ち
言葉をひたすら書く。
この言葉が何につながって何の為にやっているかは分からないが
何かにつながっていく確信がある。
世には言葉が溢れ切っているが
求めている言葉には中々出会う事はない。
だからきっと僕は何かを書こうとしている。
そしてそれは写真につながっていくはず。
言葉と写真は近しい存在にある。
貪り、自分の身に入った言葉を紡いでいく
理性として文章は時に野生の牙をむく。
世に溢れる言葉の渦の中に更に言葉を投げ込み
その中に埋もれていくのだが
きっとどこかで光を放っていくのだろう。
言葉とはそうあるべきなのに伝達の道具としてだけ
使われてしまうにはもったいなさすぎる。
映画、本、漫画を周期的に貪っている。
この3つの1つにはまって飽きたら次にいく。
そんな事を繰り返している。
先週までは漫画ブームだったが
今は本ブームに移り
最近は、20代前半に読んでいた
チャールズ・ブコウスキーを読み耽っている。
文章を読むと言葉を紡ぎたくなる。
夜に時間が出来ると
近所の賀茂川の河川敷に出て
煙草を吸いながらノートとペンを持ち
言葉をひたすら書く。
この言葉が何につながって何の為にやっているかは分からないが
何かにつながっていく確信がある。
世には言葉が溢れ切っているが
求めている言葉には中々出会う事はない。
だからきっと僕は何かを書こうとしている。
そしてそれは写真につながっていくはず。
言葉と写真は近しい存在にある。
貪り、自分の身に入った言葉を紡いでいく
理性として文章は時に野生の牙をむく。
世に溢れる言葉の渦の中に更に言葉を投げ込み
その中に埋もれていくのだが
きっとどこかで光を放っていくのだろう。
言葉とはそうあるべきなのに伝達の道具としてだけ
使われてしまうにはもったいなさすぎる。
言葉も人も群れていてはいけない。
一人になってこs